奮闘記 5 ☆ 芽生え

私は何の知識もないままゼロから起業準備をスタートさせた。

まず、最初に行動したこと。

それは、実印を作ることだった。

自分で事業を始めるという責任感と自覚を持つ為に坪内佐耶佳としての実印を作ったらどうか。事業の為の銀行口座も開設しよう。

主人からの提案だった。

この時点でまだ自分が事業主になるという実感がないので、

あ、そうなんだ。そういうの必要なんだ。

としか思えなかった。

言われるまま、近所の印鑑屋へ実印を作りに行った。

実は、実印という物を作ったことがなかったので店員さんにあれこれ聞かれても何も答えれず、結局、会社で総務経理をしている主人に任せっぱなしになってしまった。

その時、初めて、

知らないって恥ずかしくて怖い。

と今まで感じたことのない恐怖心にかられた。

帰り道、主人に

『起業する気持ちは固まったけど何もわからなくて怖い。知らないこと勉強したい。』

と話した。

主人は、初めからこうなる事を想定していたのだろうか。

帰宅して、私に何冊もの経済白書を渡した。
(なぜ白書を持っていたのかは謎)

『まず、これをひたすら読め。読んでわからない単語があったらそのページに付箋貼ること。今週の宿題な。』

こうして、私の人生の中で初めての猛勉強が始まるのである。

奮闘記 4 ☆ 35年間を取り戻す

付箋に書いた内容を主人に見せた。

『できない事が多くてやっぱり無理なんだけど。』

私はこの時、

別にこんな事しなくても生活していけるしもうやめよう。

と思っていた。
(まだ何も始めていないのにやめるもなにもない)

『自分がやれないことがあると、そうやって逃げてきたやろ。』

と主人から言われた。

『そうやって、やりもせずに目の前の事から逃げてきたやろ。
さやちゃん、いいよ、やらなくていいよって周りから言われて鵜呑みにしてきたやろ。
何が無理なの。やりもせんと無理無理言うな。』

主人の口撃はまだまだ続く。

『血反吐吐くくらい何かに取り組んだことないやろ。
ちょっと無理したら、もう疲れた 休む って続かんかったやろ。
今、無理しなかったらずっと変わらんわ。』

『家の事ももうやらなくていい。ずっと寝とって。』

図星だった。
そして、私は泣いていた。

主人は、普段、私の好きなようにやらせてくれている。
ただ、それはやる事をしっかりやっていたら、の話。
それまで、ここまで言われた事がなかったので、情けない気持ちとよくわからない感情で気持ちがえぐられた。
普通なら、離婚したいと思うくらいであるが不思議とその気持ちはなかった。

『俺がここまで言うのはさやちゃんが自分で柱を作ってほしいからだよ。』

当時、舅が大病を患い手術をした。
幸い、手術は成功したけど、主人はこう思ったそうだ。

自分がいなくなったら、さやちゃんはどうやって生きていくんだろう。
武器になる物が何もないし、しっかり自分で歩いていけるだろうか。

そんな時、私の社会復帰のタイミングがあり、この子にビジネスをやらせよう。
と思ったと。

ビジネスの勉強、経験を積むことで生きる術を得ることができるからと。

『これまで、出来ないって思い込んできたやろ。それは練習や準備をしてこなかったからや。事前に練習や準備をすれば、自信もつくし、立場が変われば考えも発言も変わる。』

『俺もビジネスの事、教えてあげるからやれないできないで過ごしてきた35年間を取り戻そう。』

主人の本音と気持ちをこの時初めて知った私は、
今ここで変わらないといけないんだ。
と痛感した。

そして、私は主人と一緒に創業準備に向けて歩き始めたのである。

奮闘記 3 ☆ 起業決意と波乱の幕開け

主人に、ハンドメイドで起業をすることを伝えた。

「具体的に何をどうするの?」

「まだ何も考えてない。」

「0点。まず紙に今の時点でハンドメイドでどう起業するのか思いつくまま考えを書いて明日提出して。」

は??私、奥さんなのに会社の部下に指示してるみたいやん!!
(今振り返ると最悪なマインドですw)

イラッとしながら、白紙の紙に考えを書こうとする。

しかし、なかなか文字が出てこない。

私は、結婚1年後からしばらくブログを書いていた。

その日の晩御飯や購入した日用品紹介など内容はたわいもないが文章を書くのは好きだったし、学生時代の文芸部で小説を書いたこともあった。

なのに、頭の中の考えがアウトプットできないのだ。

「ねぇ・・・全然書けないんだけどどうしよう。」

「最初から完璧に書こうと思うからや。ふせん使って整理してごらん。」

そう言うと主人が筆箱から、ふせんを取り出した。

「これから、悩んだり迷ったらまず、ふせんに1枚1枚思いつく言葉を書いて紙に貼ってみて。単語でもいい。思いつくことを思いつくまま書き出して頭の中の考えを出力しな。出し切ったらそれを見ながらまとめればいい。やってみ。」

なんだそれ?よくわからないけどここは素直にやってみるか・・・

主人に言われた通りに思いつく考えをふせんに1枚1枚書いてみた。

・ハンドメイドで起業する
・でもアクセサリーとか作れない
・ハンドメイドやってる知り合いが近くにいない
・教室に通ってハンドメイドを勉強する

など、今振り返るとなんともひどい内容を書いていた。

出来ないこと・やれないことが多すぎて私の手探りの起業準備はいきなりピンチ到来で幕が開けた。

奮闘記 2 ☆ ハンドメイドとの出会い

夫から出された課題をスマートフォン片手にいろいろ検索してみる。

『女性 起業』
『起業 内容』

思いつくワードで起業について検索してみるけれど、当時の私には起業している女性や事業内容が雲の上のことのようで受け入れられずにいた。

そのまま、年を越し、2015年を迎えた。

相変わらず課題解決には至っていない。

時間がかかりすぎである。

そのうち、

【やっぱ無理。私が起業するなんて。どうせ出来っこないわ】

と、いつものように、すぐ諦め、好きなアーティストの公式サイトを見た。

ちょうど、そのアーティストのデビュー15周年イヤー突入を記念したイベントレポート特集を読んでいた時、アーティストがつけていたピアスに目がいった。

【なにこれ!めっちゃかわいい!!】

そのピアスは、なんとピアスとネックレスが一体となっていた。

【かわいいなぁ。私もつけてみたい。へぇ・・・ハンドメイドなんだ。手作りだし、高いんだろうなぁ。お?ネットショップがあるのか。ちょっと見てみよう。】

製作しているのは、アーティストとゆかりのあるダンサー&シンガー。
最近、ネットでアクセサリーの販売を始めたという。
さっそく、ネットショップにアクセスして同じデザインのピアスを探した。

驚いた。

私はてっきりものすごく高いと思っていたが、お財布にやさしい価格だった。

【この価格なら主婦の私でも買えるし、イヤリングにも変更してくれるんだ。注文してみようかな】

私はピアスホールが開いていないため、備考欄にイヤリング変更を入力し、人生で初めてハンドメイドアクセサリーを購入した。

しばらくしてから、アクセサリーが届いた。

丁寧に梱包され、ブランドのシールが貼ってあった。

アクセサリーの商品名は
『ピアネックレス』

好きなアーティストと同じアクセサリーをつけれるなんて幸せ!
とウキウキしながら耳につけてみた。

(当時の写真です)

その瞬間、なぜかとても興奮した。
ドキドキした。
1人のデザイナーが自分のためにイヤリング金具で加工してくれて、梱包して送ってくれた。
すごくうれしい。
このピアネックレス、一生大切にしなきゃ!!

そう思ったその時である。

TVから、あるCMが流れた。
ハンドメイドマーケットアプリのCMだった。

【ん??今、ハンドメイドって流行ってるの??】

すぐに、そのアプリをダウンロード。

すると、何万人という人が自分で手作りのアクセサリーや雑貨を販売していた。

【へぇ・・・こんなにたくさんハンドメイドやってる人いるんだ。私みたいに買った人はドキドキしながら商品届くの待ってるんだろうなぁ。夢のある世界だなあ】

と、その瞬間、閃いた。

【見つけた!!!!!!!!!!!!

私もハンドメイドでたくさんの人にドキドキと夢を届けたい!!!】


2015年1月。私はハンドメイドで起業する!と決めた。

奮闘記 1 ☆ 私が起業?

さて、エピローグも終わり、いよいよ、奮闘記のスタートです。

お話は起業前の2014年年末から始まります。
何も出来ず、何も知らずにそれまで人生を過ごしてきた私のマインドの変化、こんな私でも起業できた道のりです。

2014年 年末。

持病の悪化で5年ほど勤めたアルバイト先を辞めて治療に通いながら体調を整えて1年が経過していたある日。

「そろそろ、社会復帰考えたら?だいぶ調子も戻ってきたし。」
と夫から言われた。

「そうだね。カフェとかで探してみようかな」

そろそろどこかで働かなきゃ、と考えていた矢先だったのでこう返事をした。

すると、夫から
「いや、雇用されるんじゃなくて自分で仕事やってみな。起業したほうがいい。」

は???????
この人、何言ってんの?

私は目が点になった。

「起業??社長になるってこと??いや、無理でしょ。学歴も資格も何にもないのに起業なんてできないし、それに何するの??何もできない。」

「何もできないから起業するんだ。1人でも生きていける術を身につけるために。」

夫の名誉の為に言っておくが、決して夫婦仲がどうこうという意味でこの発言をした訳ではなく、自分に何かあった時に私が1人で考え行動できるためにという意味があったそうだ。

話を聞いて納得したが、起業するとしても一体何をすれば????

【次の週末までに何をするのか探す】
という課題を夫から出された。

そして、間もなくして、運命のハンドメイドアクセサリーと出会うのである。

環境の変化

とにかく自分に自信がなかった私。

・自分の苦手なことから逃げてばかりで難しいことにぶち当たるとすぐやめる・・・現実逃避

・考えを持たないから意見が言えない・・・自己表現ができていない

・すぐ他人のせいにする・・・○○さんがこう言ったから、やったからetc

といったマインドだった私はこのまま縁あって主人と出会い、わずか2カ月で結婚し、岐阜県から当時のマイカーとともに主人の実家がある愛知県に嫁ぎました。

住まいの生活環境が一変したのはもちろんなのですが、1番変わったのが

観るテレビ番組がガラリと変わったこと

です。

主人はとにかく政治経済・ビジネス・情報番組が大好きな人で月~日まで朝昼晩問わずこれらのジャンルの情報・報道番組を録画して観るんですびっくり

これは今ももちろん続いていて毎日HDDプレーヤーはフル回転wwww

会社から帰宅し、食事をしながら録画した情報番組を観るので今までバラエティーやドラマを観ていた私は結婚してからほぼリアルタイムでは観れなくなりました。

初めは、つまらないなぁ。政治の話やビジネスの話題なんて興味ないのに

という感じだったのですが、いつの間にか政治家の名前や法案、ビジネス用語を耳にしているうちに自然と覚えている自分がいました。

そして、主人と一緒に著名人の講演会に行くこともしばしばあり、私はTVに出ている人を近くで見れる!くらいの感覚だったのですが、講演会を聴きに来ている聴衆の中には企業の社長や経済人もいて今まで見ることのない光景を目のあたりにします。

こうして、知らず知らずのうちに、主人と一緒に情報番組を観る日課が楽しくなった私。

おかげで、起業準備中に様々なセミナーに参加しましたが、専業主婦でビジネス経験がなくても経済に関する内容の話や場の雰囲気についていくことが出来ました。

今、クリエイターさんとの打ち合わせやレクチャーなどで
「さやたんさん、なんでそんなに色々なこと知ってるんですか?」
と聞かれることがありますが全てはこれがベースになっているんです。

ここで、私がお伝えしたいのは、

特別なことをしなくても知識や情報は生活の中で身に付けられる

ということです。

新聞や書籍で文字を読むことが苦手な人はTVや動画配信を観るといいと思います。

ただなんとなく毎日のニュース番組を観るのではなく、少し気を付けて観るだけで自然と雑学を含めた知識を得られることができるんですよ。

興味を持った方はぜひお試しください。

クリエイターさんも対面販売の接客時のお客様とのコミュニケーションや作品製作に役立つかと思います。

さて、結婚を機に環境が変わった私ですが、この時点ではまだマインドの変化はありません。
マインドが変わるのはもう少し先のお話になります。

起業前の私〜エピローグ〜

creator support service marshmallowを起業する前の私のことをお話したいと思います。
 
私は、1979年2月23日、岐阜県で生まれました。

家族構成は父と母。
兄弟はいません。
当時はひとりっ子が珍しい時代でした。
母は私を産んで間もなく仕事を再開したので自宅の目の前にある母の実家で祖母と叔母に面倒を見てもらっていました。

幼少時代はとにかくおとなしくて家でお絵描きばかりしている子供でした。

同じ年頃の子供と公園などで遊ぶことなく、そのまま幼稚園へ通園するようになります。

それまで、両親・祖母・叔母といった大人に囲まれて大人としか話をしていなかった影響か同じクラスの園児たちと何を喋っていいのかわからずにおどおど。

遊びも知らないので輪の中に入っていけない(声をかけることもできない)。

やれない・できない・話さない。

この3大『ない』は、なんと中学校卒業まで続きました。

小学校に上がれば、授業で先生に当てられます。
国語の本読みでは、声が小さい。
道徳の授業では、自分の意見が言えない。
さらに、運動神経が悪く体育の授業では笑いの的。
 
当然、出来ない子もレッテルが貼られ、いじめも起きます。

そんな状態の中で私は
自分の考えを出すなんて無理・何も話さない方が楽・とにかく目立たないようにしよう。
と思うようになり、歩く時も下を向いて歩くようになりました。
とことん暗い子です。
 
小学3年になると好きなアイドルができたことがきっかけで少しずつ明るくなり、同級生との会話も増えます。

しかし、高学年になると、男子から容姿のことでからかわれるようになりました。
思春期です。
すごくショックで友達はいたけど普段は暗い子に逆戻り。

そのまま、中学に入学。
さぁ、生まれ変わろう!と積極的に同級生にあいさつをするようになりましたが、勉強も運動も努力をしなかったこともあり、結局逆戻り。

今、振り返ってみても、出来ない、どうせ私なんて何やってもダメだから。と言い訳ばかり。
当時の私は最悪です。
自分を変えようと努力もせず、他人のせいにする。
 
その後はいわゆる高校デビューを果たし、大人になってから働きはじめるようになってからは社交性もつき、彼氏もできたり楽しい20代を過ごします。
 
でも。
職場では決められた仕事はこなすけど、電話応対がとにかく苦手。
確認不足で同じミスを連発。
会議での発言も論点からずれたことを言う。
そうです。

【あの子は仕事が出来ないね】

と新しいレッテルが誕生です。
 
結局、職を転々として、今の主人と出会い結婚し専業主婦になります。
 
長くなりましたが、まとめると起業前の私は
 
・自分の苦手なことから逃げてばかりで難しいことにぶち当たるとすぐやめる・・・現実逃避

・考えを持たないから意見が言えない・・・自己表現ができていない

・すぐ他人のせいにする・・・○○さんがこう言ったから、やったからetc
 
こんな状態でした。

じゃあ、何がきっかけで起業するまでになったの?と思われますよね。

これから、私が変わっていったお話を綴っていきたいと思います。


(続)