起業前の私〜エピローグ〜

creator support service marshmallowを起業する前の私のことをお話したいと思います。
 
私は、1979年2月23日、岐阜県で生まれました。

家族構成は父と母。
兄弟はいません。
当時はひとりっ子が珍しい時代でした。
母は私を産んで間もなく仕事を再開したので自宅の目の前にある母の実家で祖母と叔母に面倒を見てもらっていました。

幼少時代はとにかくおとなしくて家でお絵描きばかりしている子供でした。

同じ年頃の子供と公園などで遊ぶことなく、そのまま幼稚園へ通園するようになります。

それまで、両親・祖母・叔母といった大人に囲まれて大人としか話をしていなかった影響か同じクラスの園児たちと何を喋っていいのかわからずにおどおど。

遊びも知らないので輪の中に入っていけない(声をかけることもできない)。

やれない・できない・話さない。

この3大『ない』は、なんと中学校卒業まで続きました。

小学校に上がれば、授業で先生に当てられます。
国語の本読みでは、声が小さい。
道徳の授業では、自分の意見が言えない。
さらに、運動神経が悪く体育の授業では笑いの的。
 
当然、出来ない子もレッテルが貼られ、いじめも起きます。

そんな状態の中で私は
自分の考えを出すなんて無理・何も話さない方が楽・とにかく目立たないようにしよう。
と思うようになり、歩く時も下を向いて歩くようになりました。
とことん暗い子です。
 
小学3年になると好きなアイドルができたことがきっかけで少しずつ明るくなり、同級生との会話も増えます。

しかし、高学年になると、男子から容姿のことでからかわれるようになりました。
思春期です。
すごくショックで友達はいたけど普段は暗い子に逆戻り。

そのまま、中学に入学。
さぁ、生まれ変わろう!と積極的に同級生にあいさつをするようになりましたが、勉強も運動も努力をしなかったこともあり、結局逆戻り。

今、振り返ってみても、出来ない、どうせ私なんて何やってもダメだから。と言い訳ばかり。
当時の私は最悪です。
自分を変えようと努力もせず、他人のせいにする。
 
その後はいわゆる高校デビューを果たし、大人になってから働きはじめるようになってからは社交性もつき、彼氏もできたり楽しい20代を過ごします。
 
でも。
職場では決められた仕事はこなすけど、電話応対がとにかく苦手。
確認不足で同じミスを連発。
会議での発言も論点からずれたことを言う。
そうです。

【あの子は仕事が出来ないね】

と新しいレッテルが誕生です。
 
結局、職を転々として、今の主人と出会い結婚し専業主婦になります。
 
長くなりましたが、まとめると起業前の私は
 
・自分の苦手なことから逃げてばかりで難しいことにぶち当たるとすぐやめる・・・現実逃避

・考えを持たないから意見が言えない・・・自己表現ができていない

・すぐ他人のせいにする・・・○○さんがこう言ったから、やったからetc
 
こんな状態でした。

じゃあ、何がきっかけで起業するまでになったの?と思われますよね。

これから、私が変わっていったお話を綴っていきたいと思います。


(続)